312020.12「親友」に収まらないクソデカ感情をたった一人に向けていることに気が付いた話。「親友」に収まらないクソデカ感情をたった一人に向けていることに気が付いた話。|閉吐 憂|note 一人だけ、親友と呼んでいる人間がいる。 彼女とは中学三年生の時に同じクラスになっただけ、一緒の時間を過ごしたのはその一年間のみだ。高校は別の学校に進んで、大学も違ったし、私は音大中退、彼女は院卒。頻繁にやり取りをすることも少ないし、別に親同士が仲がいいとか家が近所だとかいう訳でもない。不思議な縁で、緩やかな交流が続いて、もう十五年経った。そんな関係の人間は私にとって彼女が唯一だけれど、彼女は交流関係が(多分だけど私が見ている限り)広く、友達と呼べる人間はきっと多いので、必要とされる時だけ話せたらいいかな、なんて思っているし、それで十分満足している。 というのも、これは完全に憶note(ノート)etc.多趣味すぎて手が回らない馬鹿野郎の、読んでも読まなくてもいい戯言のオンパレード。 本家(?)は『invisible』↓ https://invllcp.amebaownd.comフォロー2020.12.31 04:06命の消費量が目に見えたならいいのに2020.12.31 04:049月10日の話0コメント1000 / 1000投稿
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