032021.02「毒親育ち」を書く理由を考えた「毒親育ち」を書く理由を考えた|閉吐 憂|note 「毒親育ち」というのを近年とてもよく見るようになった。私自身はその言葉にちょっと抵抗があって、というのも、自分がそうらしいのは重々承知しているのだけど、その認識に精神が追いつかないままなのだ。果たして、あの人達を「毒親」と呼んでいいのか。それは私の中で、十年以上前からの疑問点だ。私が阿呆すぎたせいではないのか、私が悪かったから酷く怒られただけで、そればかりを記憶しているだけで、本当は当時良く言われた通り、「立派」で「自慢」で「羨ましい」と言われるのに相応しい人達だったのではないのか。そういう疑問の言葉が脳内を駆け巡って私を責め立てる。逃げ出した自分が悪い。理想通りになれなかった自分note(ノート)etc.多趣味すぎて手が回らない馬鹿野郎の、読んでも読まなくてもいい戯言のオンパレード。 本家(?)は『invisible』↓ https://invllcp.amebaownd.comフォロー2021.02.03 11:49【お知らせ】Amebaについて2021.02.03 11:10【再投稿】ザリガニが死んだ。0コメント1000 / 1000投稿
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