ネタバレ感想『ミッドサマー』

 ネタバレあります。というか中身について喋りたい。未視聴の方は自己判断で閲覧ください。
 あと割と口悪い(文字なのに)です。思い付いた感情そのままに書いてます。御容赦ください。

 ルーン文字とか暗示しているものとか考察系は大体読み漁りました。監督アリ・アスターのインタビューとかも読みました。その上で「私はこう思った、こう感じた」を書きました。ガチメンヘラ、やばぁ……と思いながら読んでもらえたら嬉しい(?)です。

「安堵」がくれたのはただの解放感ではない

 早速で申し訳ないんですけど、ラストの話をさせて欲しい。


 (念の為の行数)


 ラスト、主人公ダニーの笑顔。あれがカタルシスを与える、クズの恋人との蹴りを付けた、ホルガという新たな家族を得た、共感による新たな依存先を得た、様々な解説、考察、感想を読んだ。
 違う。私が感じたのはそんなのじゃない。
 あれは私にとって「安堵」の笑みだった。上記のような理由からではなく、「これ以上恋人が苦しまなくて済む」という意味での「安堵」。

 恋人が如何にクズであろうが無神経であろうが共感してくれなかろうが、恋人は恋人だ。大切で大切で大切だ。自分の半身と感じたり、命そのもののように思えたりもする。「そんなことはない、恋人は所詮他人だ」と思う人とこの議論をしても意味が無いので、自他の境界線がしっかりしている人はお帰りください。住む場所が違うのだ、そなたは街で、私は森で暮らします。(何)
 話を戻そう。自他の境界線が曖昧で、心理的自立が難しい、共依存型の人間ならばこの感覚は理解できるはず。恋人がどれほど自分に酷いことをしたって、それが切り捨てる理由になどなりはしない。自殺が大抵未遂に終わるように、自分の一部と化した恋人を切り離すことなんて出来やしない。もし、運悪く恋人と道を違えることがあれば、それは世界が崩壊するに等しい。だから主人公ダニーはいつだって「自分が悪い」「あなたは悪くない」「責めていない」「話し合いたいだけ」「ごめんなさい」「私は大丈夫」(だからまだ私と一緒にいて……!!)という言動を繰り返す。恋人から捨てられる恐怖に戦いて、最早自分でも諸悪の根源を切り捨てられない悪循環。共依存あるあるですな。
 そんなダニーが、女王の座に就いたところで、恋人クリスチャンと村娘マヤのSEXシーンを見たところで、クリスチャンを捨てられない。捨てられるはずがない。捨てたら世界が終わるんだよ。捨てたら捨てられたと同意義なんだよ。だから多分クライマックス直前までずっとダニーは不安そうな顔をしている。自分を裏切った恋人を殺す理由ならあるし、自らの手を汚す訳ではない、飽くまでもこれは村の儀式の結果なのだから自分は悪ではない。その辺も全部分かった上で、苛立ちや不安感や孤独感が最高潮に達する中で、決断を迫られる。
 ダニーは、本当は、嫌だったはずなのだ。クリスチャンを生贄に選ぶのなんて。自分を差し出すのと同じ苦痛を自ら選ぶ生き物なんていやしないじゃないか。だって人間、どうせ自分が一番可愛いんだし。自分の命優先しちゃうじゃん。ダニーにとって自分とも思えるクリスチャン、わざわざ殺すなんて、自殺するより辛いんだよ。(まぁでもそういう意味で自罰的な選択でもあったのかもしれないね。ダニーは自己嫌悪が凄そうだ。)
 燃え盛る家を見て、泣き崩れてゆくダニーは、どう見ても「私はなんてことをしてしまったの……!?」という虚無感とか罪悪感とか無力感とかに塗れているように見える。あの泣き方はトイレで泣いてた時と同じだった。過呼吸になる手前の、あの引き攣った泣き方。声が勝手に死んでいく、あの息を忘れたかのような泣き方。身に覚えのある、あの、泣き方。……村の女達と共鳴した時の泣き方とは違う。きっと違う。
 だって、村人達、ラストではダニーに共感して泣いてくれる人、いないじゃん。みんな燃えてる方に共感して泣き喚いてるじゃん。村人達が絶叫しているのを見て、また小屋を見て、そして、笑う。あれは、私には「もうこれ以上クリスチャンを辛い目に遭わせなくて済む」という、安堵に見えた。

「クリスチャン、今まで迷惑かけまくってごめんね、沢山苦しめてごめんね、別れたがってたのも知ってた、けど私が別れさせなかった、別れなくなかった、一人になりたくなかった、でももうこれで苦しまなくて済むんだね……、よかった……私のせいで恋人が苦しまなくて済むんだ!!彼は救われたはずだ、彼を私が救ったんだ……!!」という、安堵。


 激烈。その一言しかない。私にはそう見えた。
 あの笑顔はカタルシスなんかじゃなかった。私にとって、は。これでまた一人になる。でも自分の半身が自分について苦しんだり悩んだりする姿をもう見なくて済むのだ。いや、これもある意味のカタルシスなのだろうか。でも私が感じたのはそういう安堵と、そして、更なる孤独感だった。

 映画の間ずっとダニーは何処にいっても「よそもの」という感じだった。家族は自分以外の三人で心中してしまうし、友人はアドバイスという名の批難を浴びせるし、男友達は明らかに自分に対してピリピリしているし、男友達の一人ペレは自分が思い出したくない記憶に共感しようとしてくるからトラウマが刺激されるし、恋人も周りから自分を庇ってくれているようで実はそうでもない。トイレで声を殺して泣くしかできない。村人だって優しく笑ってはくれるけど全く知らない赤の他人にいきなり優しくされても困惑するだけだ。しかも恋人に色目使ってる女がチラチラ視界に入って、恋人自身も満更でもなさそうなのだから最悪。映画が始まってから、ずうっとずうっと、ダニーは孤独だった。孤独すぎた。
 そんな中でペレの優しさが増してきて受け入れやすくなってきて、村の女達が優しくしてくれて、ダンス大会ではハイになって優勝して、沢山の人が笑顔を向ける。そんな中でも父と母の幻覚は無言だし、何なら睨んでいるように見える。(解説とかで妹もいるって読んだけど、人間の顔があり過ぎて妹見分けられなかったよ。ごめんな、テリー。でもお前も大概やで。お姉ちゃん大事にしたれよ。) 肉親すら喜ばない(とダニーは感じている。これって多分めちゃくちゃ家族仲が悪い証拠じゃない?長女特有の責任の押し付けられ方(「お姉ちゃんでしょ」的な)を幾度となくしてきたとか、妹贔屓を日々感じていたとか、もう機能不全家族の匂いしかしない。やだ。ダニー、お前は私か?)謎の何かの優勝をお祝いしてくれる村人、いやいや不信感しか抱かないよ。なのにそこから食事を始めるのは自分の責任になって一人違う場所に座らされて、なんかニシン一気飲みとか意味分からんことさせられて、笑われるし、儀式のために一人で馬のない馬車に座っていなきゃいけない。儀式はちょっと楽しかったけど、嫌な予感のする建物(恋人が村娘とSEX真っ最中)に近付こうとしても誰もマジでは止めない。共感のタイミングを狙っているとしか思えない。で、案の定パニクったダニーを抱えて、今まで一緒に儀式をしていた女達がウワーッと走り出して、ベッドに寝かされベッタベタ触られ、落ち着け落ち着けイイコイイコされて、落ち着ける訳ねぇだろ!!って振り切ろうとしても、無理矢理抑え込まれて「共鳴」の「号泣」シーンが始まる。でもごめん、ここはちょっと私も釣られ泣きした。マジで。凄く嫌だった。周りへの嫌悪、憎悪、自己嫌悪で雪だるまみたいになりながら、「やめてよ!目の前でそんなに泣かれたら泣いちゃうよ!泣きたくない!泣きたくないって言ってるのに!!えーーーーーーん!!!!!!」の心境で私も一緒に泣いてしまった。最悪。最低。こんな泣き方したくないわよ失礼ね!って傷付いた。でもちょっとだけホッとしたのも本当だった。だって優しくされるって快感だもの。
 でもその優しさは中途半端で、ダニーはまた孤独感の中に放り出されたように見えた。少なくとも私はそう感じた。最早ドレスとは言えない量の花に埋もれるダニーを誰も苦しそうとは思わない。嬉しくないのに賞賛される。私、何もしてませんけど。孤独感が極まって不機嫌極まりない状態になっているように見えた。少なくとも私ならマジでおこなプンプン丸案件だよ。おい、こんなに花要らんわ。重いわ。飾るならもっと可愛く飾ってくれ!って激おこだよ。何がメイクイーンだよふざけんな。
 てか文字だけ読んでた間ずっと、メイクイーン(五月の女王)をじゃがいも……?猫……?って悩んでたよ。それはメークインとメインクーンだぜ、私。ばーかばーか。

 そして、ラスト。クマスチャンが燃える。彼が叫べなかったこと=ダニーに叫びが聞こえなかったこと=「このクソアマが!!呪ってやる!!お前も死ね!!」とか言われなかったこと、めちゃくちゃ不幸中の幸いだ。普通は多分言うでしょ。自分を生贄に選ぶ恋人への呪詛。当然じゃん? 話せないし動けないクリスチャンは、クマスチャンに選ばれる前、めちゃくちゃ目で訴えてたよ。助けて、選ばないで、助けて、って。いやぁ名演技だった、クリスチャンの人。目は口ほどに物を言うって本当だと思った。クリスチャンの目はずっと場面場面で面白いくらい変化していったのが印象的だ。今何も考えてねぇな、とか、薬キマってんな、とか。目で分かる演技、すごい。
 とにかく、クマスチャンが燃えているシーンでダニーは最高に不幸を、そこからの多幸感を味わったはずだ。クリスチャンはいつだって自分のために嫌な思いをしてきたと感じているから。彼の重荷になっているかも、捨てられるかも、嫌われたかも、怒らせたかも、置いていかれるかも、かもかもかもかもかものオンパレード。想像するだけでストレスフル。でも、もう、それも終わった。彼はこれ以上の苦しみを自分から与えられることはない。自分ももう彼のことで苦しむことはない。双方ハッピー。お花畑に永住できそう。
 死こそが救済。命は循環する。サークルオブライフ。生と死はいつも一緒。ズッ友だョ……!!
 ホルガの人達がそう教えてくれた。

 つまり、ダニーの父母と妹も、もう自分のせいで苦しむことがなくなったから、自分があちらから責められることもない、と理解した。男友達も(ペレ以外死んだから)自分のせいで嫌な気持ちにならないから空気がピリつくこともない。ホルガの人達もダニーが女王の間はきっと果てしなく優しくしてくれるし、ホルガの村人として生きていけるのなら(そんな展開が待ってくれているのなら、だけど。私はメイクイーンが九日目の生贄になるのでは派です。)、72歳までは生きていることが許される。役割がきちんともらえて、居場所が与えられて、衣食住と共感が存在して、そして命の終わりにも意味が与えてもらえる。
 やっば。天国じゃね?あのホルガ、何処にあるんですか???()

 ラストの笑顔、めちゃくちゃぐにゃぐにゃで、ニヤニヤにも見えて、つまり「悪い笑顔」に見えて、見ていて苦しかった。でも多分、死に救済や理由を見い出した人間、そこに安堵した人間は、ああいう顔をするんだろう。私も多分、そっち側なんだろう。気持ち悪いもんね、この感覚。この先の地獄が自分から切り離されたことに喜ぶ=他人の死を喜んでしまっている人間なんて、基本は敵認定される。淘汰待ったナシ。詰んだ。
 歪んだ認知、歪んだ自意識、歪んだ愛情。全てが歪んでいることに耐えられず、押し殺して泣いていたダニーは、あの時に死んだのかもしれない。そうするとやっぱりダニーは女王になるべくしてなったのだ。女王として再誕したダニーを祝う、愛している人を包む炎。小さなケーキの切れ端に刺した蝋燭に全く点かないライターの火とは比べられないくらい、大きな大きな炎。彼が点火できなかった火を、彼の身体を拠り所にして燃え盛る。さぞかし美しい光景だろうね。自分のために特別なことなどしてくれなかった彼が、自分の体を燃やしてくれる。これ以上の苦痛などないくらいに、苦しみながら死んでいく。なんて最高にクレイジーなプレゼント。贈り物を用意できない恋人にできる、最上級の献身じゃないか。

ホラー映画として、の話

 私、ホラー、駄目なんです。お化けだめ。びっくり系だめ。夜、トイレとかお風呂とかに行けなくなっちゃう。しばらく行けなくなっちゃう。昼も夜もずっと脳内で再生されて気が狂いそうになる。ホラー、こわい。マジで無理。
 でもスプラッターはいけます。なんでだろ。不思議。
 そんな私が観ていられるくらいのホラー度。ジャパニーズホラーの方が遥かに怖いし、『シャイニング』のホラー感の方がビビった。グロで言えば『SAW』とか『CUBE』とかの方がやばい。
 ホラー映画を期待してた人、グロ描写を期待してた人、とかからしたら恐らく「退屈だった」となる生ぬる〜い感じのホラー度。た・だ・し。これは「やばい」と思ったのが、とにかく「キモイ」(褒め言葉)、でした。
 まず「音」がキモイ。弦楽器の不協和音で冒頭から「ンアアアア゛」ってなる。キモイ。
 カメラワーク、キモイ。こちらと鏡を、こちらとテレビ?を映して、ナチュラルに「今何が映ってる?大事なとこ?」を気にさせる。(そしてちょっとビビらすのも忘れない。だってホラーだもんね。) ガタガタ揺れる画面、上下の反転する世界、映画館なら確実に酔う。あとちょくちょくカメラ越しに「こっち」を見てくるキャラクター(一人称視点ではないタイミングだから絶対に、画面の「こっち」を見てる。)がいるの、怖キモイ。こっち見んな……!!
 嫌な感じする?その通りだよーん!と言わんばかりの予告っぷりとその通りに進んでいく物語展開。そこが退屈、と言われたらおしまいだけど、その予定調和がキモイを上乗せしていく。
 村人達の「共鳴」、とにかくキモイ。随所でキモイ。大多数は「あのシーン(あのシーン)」がキモイってなるだろうけど、私個人では五人で赤ちゃんあやしてるシーン、No.1のキモイ。核家族ばんざーい……。(白目)(それはそれで辛いのだよ、ワトソンくん。)
 死体の見せ方、魅せすぎてキモイ。アッテストゥパン、まだ、マシ。「愚か者の皮剥ぎ」のマークの皮装着状態(瞬きキモイ)と藁詰め込み状態(個人的にめちゃくちゃ無理だった。あとマークの「愚か者」さ加減にはずっと腹立ってた分、めちゃくちゃキモく思った。)、両方キモイし、水死体コニーちゃんの頭もげそうな勢いでぐらんぐらんしてるの、めちゃくちゃキモキモでやばたにえん。ぴえん。うっすら見えるジョシュの口?目?に詰め込まれたルビ・ラダー、キモイ。「血のワシ」真っ只中のサイモンの顔を覗き込む時のカメラワーク、キモイ。背中見てる方がまだマシ。もっと骨と肺を見せろください。
 マヤの異物混入、本当にキモイ。呪術的ィ〜!って思いながら、あれ口にすんの、中身知ってたら絶対無理だろって思ったけど、まぁ……クリスチャンだもんね。断れない男、クリスチャンだもんね……知ってても……飲み食いするかもね……焼かれて当然だわ……()
 村のお姉たま、美しすぎてキモイ(同じ人間ですか?違いますね。羨まピギィ……)し、マヤのメイクがどんどん鮮やかになったの、本当に、キモイ。(マヤの人はめちゃくちゃ可愛いし似合ってるよ。でも多分新たな命を宿す予定だから赤いんだろうと思うと、キモキモのキモだった。人の男寝取って妊娠しようとしてんじゃねぇ。)(村の因習だから仕方ないだろう、と理解しようと努力はした。それでもキモイ。だって人間だもの。)
 あとはCGになると思うんだけど、身体が自然と同化していく幻覚(手に草生えたり足が草になったり)的なのは全然平気だったけど、花がスーハーしたり、山とか小屋とか肉とかが、ウネウネ〜〜〜ウネウネ〜〜〜ってしていくのは本当に本ッ当に本ッッッ当に、キモかったです。ラリってる感覚を映像化する為に苦心したそうだけど、薬には絶対手を出してはいけないと改めて思った……世界がウネウネするのなんて見たくない……!!
 あとは死んだ家族がちょいちょいフラッシュバックする感じ、マジでキモイ。やめろ。何故私の日常茶飯事を知っている。(※私の家族は死んでいません。多分。)

 まぁそんな感じの、とにかく最初の最後までずぅ〜〜〜っと、ギモ゛イ゛!!!!じぬ゛がら゛や゛め゛でよ゛お゛お゛お゛!!!!!の連続だったので、映画館で見なくて本当によかったと思っています。あれは強制されたら苦痛以外の何物でもないだろうよ。拷問だよ。

 映画の感想、こんなに長く書いたの、初めて。映画歴は浅いです。あと、ホラーは前述通り、ハッピーエンドもの、恋愛映画は精神が死ぬので選り好みしなくちゃならないのだけど、ネタバレ厳禁厨だから事前情報はなるべく摂取せずにいないと物語が堪能できない、という絶望。今回の『ミッドサマー』はめちゃくちゃ中身を調べに調べてから観たので、ある程度の流れや覚悟を持った上で自宅iPad視聴、ホラー要素少なくて、寧ろ拍子抜けしたくらいのマイルドだったので、逆に調べに調べたことを後悔したレベルです。中身知らなかったら抱いた感想がもっと違ったのかもしれない。
 アリ・アスター作品は長編が『ミッドサマー』と『ヘレディタリー/継承』しかないとのことですが、後者(作品としては一作目)のホラー感が強めの印象なので、多分視聴せずに生きていくと思うけど、テーマとしてはめちゃくちゃ興味深いと思ったし、やっぱ家族にトラウマ抱えてる人間は闇が深いんだなぁと思いました。
 アリ・アスターさん、握手しよう。私とあなたはきっと良い友人になれます。(何目線)

 ということで、今回はここまで。最後まで読んだあなたも、握手、しましょう。そして乾杯も。
 スコーーーーーーーーrrrrルッッッ゛!!!!
 フッ゛!!!!ハッ゛!!!!!!
 (観た人にはイメージ伝わるはずだけど、カタカナでこれを書き表すのは限度があった。後悔はしていないが反省はしている。)

 ありがとうございました!

etc.

多趣味すぎて手が回らない馬鹿野郎の、読んでも読まなくてもいい戯言のオンパレード。 本家(?)は『invisible』↓ https://invllcp.amebaownd.com

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